“the given”からの解放による永遠の獲得 ――養老天命反転地での経験を通じて

養老天命反転地についての荒川氏と谷川俊太郎氏の対談が印象深い。当対談中、荒川氏は次のよう発言をしたとのこと。「(養老天命反転地は)与えられたもの(=“the given”)から自由になれる場所である」と。ここで言う「与えられたもの」とは、自己が出現したときにすでに存在していた共同体を指す。さて、この“the given”から我々はどのように自由になり、また自由になることで何がどのように変化するのだろうか。

この疑問が頭に浮かんだ後、私は養老天命反転地での自身の経験を思い出した。実際の養老天命反転地は、写真で見ていた風景と異なり草木が暴力的なまでに生い茂り、小さな森のような姿をしていた。その姿と作家に対する偏見的イメージが相俟って、養老という自然に溢れる土地の中で一種の不気味さに満ちた異常な空間であったことを覚えている。当テーマパークは、よく知られているとおり地面の傾斜をはじめとする特殊な造りのため手足を駆使しなければ転んでしまうという箇所も多々あり、帰るころにはくたくたになってしまった。簡潔に以上のような思い出のある養老天命反転地だが、経年による壊れや塗装の剥げはあったものの、テーマパークの本質的な部分は機能しているのではないかと思う。
本質的な部分とは、養老天命反転地から得られる経験のことだ。このテーマパークを経験することで、私は3つの“the given”から解放された。すなわち(1)「常識」からの解放、(2)精神的な「私」からの解放、(3)「私」と「他者」の境界線からの解放である。これらの解放は、(1)から(3)へとリニア式に展開されていくが、この3つの解放の連鎖こそ天命反転の実践的側面において重要であると考える。

(1)「常識」からの解放とは、共同体すなわち社会の中で盲目的に狂信されている“the given”からの解放に他ならない。当地を歩くと、地面には一種の道(あるいは道と認識してしまう装飾)が敷かれていることに気がつく。しかしながら、その道の上を歩いていくと必ずといっていいほど障害物にぶつかってしまうのだ。したがって、我々は道から外れ、草の生い茂る「道でない場所」を歩くことになる。このとき、「人間が往来するための整備されたところ」という常識的な「道」の概念が破壊されたのである。また、当地を展望するためにはの150メートル程の狭いスロープを登っていくことになる。ところが、展望からの景色に満足して出口を探してみても、もと来た道を帰る以外に方法がない。これもまた「入り口があれば出口がある」という常識を破壊する結果となった。養老天命反転地は、建築を通じて意図的に常識を破壊し、体験者個人の精神に新たな常識を醸成されているのである。

同様の試みは、養老天命反転地以前の荒川氏の活動から行われている。少なくとも1990年には既に行われていたといえる。当年に開催された「荒川修作展――宮川淳へ」の企画展からも同様の仕掛けが伺えるからである。この企画展での荒川の作品はカンヴァスと踏み絵のセットから作られており、鑑賞者は踏み絵の上に立ちながら、カンヴァスに描かれた制作物を眺めるのである。美術館では普通、「作品に触れない」ということが常識とされているが、荒川氏はその常識を破壊する作品を創造し、常識の脆弱性を我々に提示したのである。

常識からの解放後、(2)「私」は自身の精神から解放される。つまり、社会が我々を強制すべく生み出している常識という「与えられたもの」によって拘束されていた精神が、自由になるのである。精神が自由になることで私は、伝統として受動するに過ぎなかった数々の概念に対して、「現代的」な在り方を意識し始めることにある。

この現象は、言語の意味破壊を試みたトリスタン・ツァラや、反省の否定を試みたブルトンやスーポーらダダイストに近い。彼らは、それまで常識とされてきた「意味」や「反省」といった現象・行為に疑問を投げ、自由でモダンな精神を追求した。荒川氏の建築を通じての常識破壊は、20世紀初頭のアヴァンギャルドの実践者と同様に、21世紀という現代にとって真に必要とされるべき常識(あるいは現代性)を打ち出すために古びた伝統を破壊しようと考えていたといえる。

“the given”からの解放は連鎖し、ついに「私」の精神は「他者」との交流を求める。換言すれば、(1)(2)の解放により身軽になった私は、実際に行動するのである。私は当地で知り合った方々と、その場で「私」と「他者」の共生について話したい衝動に駆られ、実際に各々意見を述べ合った。これは単なる偶然ではなく、荒川氏の建築の体験から得られる効能の影響によるものではないだろうか。

もっとも、「他者」の認識は行動的な側面から強制される。先に、展望に上るためのスロープについて触れたが、当所から戻るためには当所に向かう他者とすれ違うはめになる。ところが、子どもならともかく、成人した二人が通るスペースはないので、すれ違うためには腹を壁へと押し付ける必要があり、他人とのコンタクトを余儀なくされる。したがって他者とのコミュニケーション(たとえば、私が腹を寄せるか、相手が腹を寄せるかの会話)は必然であり、「私」と「他者」との境界は建築を通じて強引に溶かされていく。その場では、「私」と「他者」の両者を認識することなくしては過ごすことはできず、否が応でも共生を意識させられるのである。

以上のように、荒川氏は建築を通じて(1)「常識」、(2)「私の精神」、(3)「私と他者の境界線」という解放を実現した。この展開を終えることで、我々は“the given”から解放される。さらに言うと、この流れをグローバルに拡大させることで、荒川氏は「天命反転」の実践を試みていたと考える。つまり、「私」と「他者」という認識的な境界線を人間社会全体レベルで解放し、無限で永遠なる人間の創造(あるいはその状態としての平和)を目指していたのではないだろうか。ここで、ランボーの詩<永遠 l’éternité>を思い出したい。詩には次のように書かれている。

J’ai retrouvé.
Quoi? -L’éternité.
C’est la mer meleé au soleil.

ランボーは詩の中で、「永遠とは太陽と溶け合った海である」と述べている。注目したいのが、「溶け合う」という状態である。つまり、<要素A>と<要素B>の総合がなされることが、永遠性の創造のためには必要なのだ。荒川氏が、「天命反転」という彼独自の思想から人間の永遠性に魅了されていた一人であるとすると、養老天命反転地を通じて「私」と「他者」という<要素A>と<要素B>の境界線を解放することで、両者の融解を起こし、その結果としての永遠性の実現を荒川氏は試みていたのだと言えるのではないだろうか。そしてこれらの繰り返すことにより、最終的には、一人の巨大な人間を作り上げることが荒川氏の目的であったのではないだろうか。すなわち、避けられない死という人間の天命を反転した人間とは、一つの現代的な共同体のことを指すのではないのだろうか。荒川氏にとって「私」は、「現象」としてあらゆるところに存在する。これはつまり、共同体の中で、「私」という一存在ではなく、ランボーの“JE est un autre.”、また“On me pense.”といった詩句に見られるように、「私」と共存している「他者」を認識した上での、「私たち」を意味しているのではないだろうか。したがって、その思想の実践と共有こそが養老天命反転地ではなされおり、我々は建築を通じて天命反転し、永遠の状態を獲得するのである。

荒川氏自身が「死ぬのは法律違反です」と述べ、5月19日の講演ではABRF代表の本間桃世氏が「荒川は生物学上いなくなったとされているが、死んではいない」と発言した。個体は消滅したとしても、「私たち」は死なない。なぜなら「私たち」は永遠の存在だからである。このように考えるとき「文字は殺し、精神は生かす」という聖書の一説を想起するのはナンセンスだろうか。死なないためには精神を生かすこと、そして精神を生かすためには現代に必要な精神を見つけて研磨すること。その実現のためにこそ、まずは「私」という精神を埃のかかった慣習的常識から限りなく自由にし、その存在の境界線を取り除き「他者」と融解させることが必要なのだ。そうして生まれる「私たち」という新たな形での共同体は、21世紀の中で死なないために、ひとりひとりが考えねばならぬ問いであり、そこへ向かって行動しなければならないのである。したがって、養老天命反転地での“the given”からの解放は、世界的に推進されるべきことの一つなのである。

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