未来派的「速度」と21世紀へのアヴァンギャルドの提案

1.速度の表現

1909年にフィガロ紙に発表されたマリネッティの「未来派創設宣言」の4項と8項では、「速度」について次のように言及されている。

 4項、咆哮をあげて疾走する自動車はサモトラケのニケより美しい。
8項、我々は時代の最先端の岬にいる。時間と空間は昨日死んだ。我々は偏在する永遠の速度を創造した。

この2つから導き出される、「速度」の美学の実践として、たとえばマリネッティは自由詩「ザン・トゥム・トゥム(ZANG-TUMB-TUMB)」の中で戦闘中の銃声の表現を試み、バッラは瞬間の表現を試みている。このように、芸術を通じて表される対象が「過去」に属するものから、「現在」起こっている現象へと近づいていったのである。それでは、未来派の芸術家たちは、なぜこのように「現在」に着目した制作を行っていったのだろうか。 “未来派的「速度」と21世紀へのアヴァンギャルドの提案”の続きを読む

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“the given”からの解放による永遠の獲得 ――養老天命反転地での経験を通じて

養老天命反転地についての荒川氏と谷川俊太郎氏の対談が印象深い。当対談中、荒川氏は次のよう発言をしたとのこと。「(養老天命反転地は)与えられたもの(=“the given”)から自由になれる場所である」と。ここで言う「与えられたもの」とは、自己が出現したときにすでに存在していた共同体を指す。さて、この“the given”から我々はどのように自由になり、また自由になることで何がどのように変化するのだろうか。 ““the given”からの解放による永遠の獲得 ――養老天命反転地での経験を通じて”の続きを読む

20世紀ルーマニアと(前衛)雑誌『75 HP』

『75 HP』についてのメモ。ブローネルはともかく、ヴォロンカ、ステファン・ロールらと、ブルトンたちシュルレアリストらの間にはどのような関係が構築されていたのだろうか。

雑誌は、グループの三つの他の出版について告知している。それらのタイトルは番号を参照している、それは、雑誌のタイトルが同様に証言している「数字的感覚(sensibilité numérique)」なのである。以下のものが重要だ。:Tx 843 (Tzxi 843), 150ページのヴォリューム、「ピクトポエジー」とヴィクトル・ブローネル、イラリエ・ヴォロンカの木版画と共に。;ゼロ、イラリエ・ヴォロンカ、ヴィクトル・ブローネル、ステファン・ロール(Stephan Roll)、ミグエル・ドンヴィルの集合的韻文のヴォリューム。;、アヴァンギャルドの雑誌、ヴィクトル・ブローネルによる編集。これらのどの雑誌も日の目を見ることはないだろう。無限の記号についていえば、それが仄めかすあらゆる象徴的記号とともに、その記号は幾年かあとになってヴィクトル・ブローネルの作品に、同じ署名を伴って、再び表れることになるだろう。

バンジャマン・フォンダーヌについての覚書

再びバンジャマン・フォンダーヌについて調べなければならないと感じている……。とはいえ、フォンダーヌは放浪する「ユダヤ」ないし「ユリシーズ」という印象が強いので、そこをどう脱臼させるかがポイントかと。 “バンジャマン・フォンダーヌについての覚書”の続きを読む